謎解きの定義に関する自説・他説
本記事はいわゆる「謎解きって何?」「クイズ・パズルとどう違うの?」議論に対する、私自身の仮説をまとめたものです。
コンセプトは、「様々な人の(ある程度筋の通った)様々な意見全てに矛盾しない、簡潔な説明を与えること」です。
一般向け記事としては以下の記事の方が分かりやすいかと思います。
また、この記事とほぼ同じ内容のものをわんど(wand_125)さんに見せた後の思考がこの記事にまとめられているようです。
謎解きと人々の関わり合いの変化などについてはわんどさんの方が詳しいと思うので、是非ご一読を。
現在の自説
(大前提)解が出ることが保証されているコンテンツについてのみの言及である
(前提①)各ジャンルが厳密に線引きされることはない
(前提②)厳密な線引きができないことと、各ジャンルの定義を言語化できることは矛盾しない
(前提③)「問題を解いた人間がどう感じたか」を重要視し、「作者がどう言い張っているか」については触れない(非合理的な主張がいくらでもできるため)
仮説
「解答を導くための方法・ルールが不明であり、そこを推測させるのが謎解きである」ということのみで謎解きは定義づけられる。 一見対立するような謎解きの定義に関する主張(クイズと別個か、包含かなど)は、視点・スケールの違いであり、全てこの定義に帰結する。
- 高井茅乃氏の主張とほぼ一致
よくある定義基準についての説明
以下、様々な人の主張を引用・再解釈しています。
もし明らかに異なる解釈で引用してしまっているようなことがあればご連絡ください。
(悪意を持っての曲解は一切していません)
知識の要不要
知識でなくひらめきで解くものが謎解き、 Q&Aの形式を取るものが広い意味でのクイズ、知識を問うのが狭い意味でのクイズかな。
(狭義の)クイズもひらめきは結構問うていて、多くの人が共有する知識のみを前提にすることで知識で差がつかないようにするのが謎解き 知識を共有しているか否かで差がつくことを許すのが(狭義の)クイズ
本主張では、謎解きは「ルールが明文化されていない」の1文のみで説明され、知識の要不要については一切言及していない。一方、クイズは「ルールが明文化されて」おり、そのルールが「(頭の中にある知識をもとに)問われていることに対する解答を出す」ということになっているため、知識が必要になってくるのは当然である。
そのため、必要知識という軸で考えた際には非対称性が生まれる(知識の必要度で境界線を引いて、一方がクイズで一方が謎解き、という分類はできない)。
松丸氏の「知識でなく~解くものが謎解き」という主張は、必ずしも「知識が不要なものが謎解きである」を意味しない。謎解きを解く過程で重要視されるものが知識ではなくひらめき、という風に解釈すると、後述するように「ひらめき」と呼ばれるものと「ルールの推測」というものは密接にかかわるため、本主張と矛盾しない。 この「重要視されるものが知識ではなくひらめき」という解釈は、何で差をつけることを許すかという山上氏の主張に対応する。
「知識がなくても解ける」とする主張は、素直に受け取るとどう考えてもあり得ない(何の知識にも基づかず解けるものがあるはずはない)ので、これはあくまでコピーでの誇張表現と捉えるべき。「(ここで紹介するコンテンツは)(競技クイズ等で用いられる高度な)知識がなくても解ける」と補完することも可能だし、このニュアンスを説明するために商品紹介に「知識がなくても解ける」と書くことは自然なことだと判断する。
参考:海野名津紀氏のコメント
「ひらめき」で解くものが謎解き
知識・雑学をゲーム化したのがクイズ、 考える過程の面白さにフォーカスしたのがパズル 閃きの面白さにフォーカスしたのが謎解き
そもそも「ひらめき」とは? 曖昧な言葉であるが、認知科学分野における洞察と同じものと捉える。
洞察とは、創造的問題解決の代表例である。それは過去に経験した解法に基づく再生的思考とは異なり、まったく新しい解を創造する生産的思考のひとつとされる
横山拓・鈴木宏昭『洞察問題解決におけるメタ学習』
ひらめきを伴う問題解決である洞察問題解決の背後に存在する「制約の緩和」「類推の利用」という認知プロセスに,潜在的意識の処理が関わる証拠をいくつか提示してきた
三輪和久『飛躍を伴う発見における潜在的意識の関与』
「問題解決の方法が突然思い浮かぶこと」とされるが、実際には「突然」ではなく、潜在的な思考錯誤のうえで成り立っており、鍛えることが可能であることが示されている
このことは、ふくらPの謎検インタビューと一致
まずは「パターンを知っているかどうか」。僕はこれまでの人生の中で、クイズや謎解きに関しては本当に相当な量をこなしてきました。少なくともQuizKnockのメンバーの中では、僕が一番多いはずです。その分だけ「知っているパターン」も多い。だからそういうパターン化できる問題に関しては、単純にどれだけ量をこなしてきたか、が大きいと思います。
やっぱり問題をたくさんやることではないでしょうか。パターンを吸収して次からそのパターンを使えるようになりますし。
解けなかった場合は、「次に同じような問題が出たら、どういうふうにすれば解けるのか」「どうやったらこの問題の答えを思い浮かぶことができたんだろうか」などについて、しっかりと考えることが大事になります。可能であれば、その問題を解けた人に「どうやってこの問題を解いたんですか?」と聞いてみてください。考え方を外から学べるので、学習効果がより高くなると思います。こういった反復学習を続けていくことで、単に問題が解けるようになるだけでなく、謎解き力、問題解決能力なども上がっていくはずです。
「ひらめき」=「問題解決の方法が突然思いつくこと」ならば、最初は問題解決の方法が不明であるべき。「ルールを推測するのが謎解き」は、「ひらめきで解くのが謎解き」の換言になっている。
より厳密にいうならば、「ルールを推測するのが謎解き」という定義の下では「解法を」ひらめくのが謎解きの特徴になる(和同開珎・アナグラムの項目で後述する)。
理不尽・納得度
「納得できる/できない」という評価軸は、クイズにもパズルにも存在しえない、いわば謎解きにだけ許された特権なのです。
本主張では「ルールが不明の状態で提供されるのが謎解き」であるため、厳格なルール・解法が提示されているパズル・クイズと異なり、謎解きは理不尽が許されるとする主張について賛成する立場をとる。
出題時点では解答側には一切解法は知らされておらず、「解答が出た」と思ったタイミングでもその解が100%正しいと確証を持つことはできないため、解き手が最終的に出した解と作者の想定する解にずれが生じる可能性がある(これは、パズルでは起こり得ない)。このことが「『納得できる/できない』という評価軸」を存在させている。
謎解きはクイズに包含
「解法が不明である」ことを謎解きの特異性としてきたが、「答え・最終的な到達地がある」ことは保証されており、明らかである。 この点を包含するように「クイズ」を広く定義した場合(最近の高校生クイズの最終問題などが顕著である)、謎解きがクイズの1ジャンルとして分類されることは何もおかしくない。
- 松丸亮吾氏による主張(この意見に対する反論)
クイズの中に謎解きがあるっていうのは勘違いで、Q&A形式を取らない、例えば脱出ゲームなども謎解きだから
実際は脱出ゲームであっても「脱出する」という目標に向かって試行錯誤し、最終的な解となる方法を見つけ出すものであるため、「Q&A形式を取る」と解釈することも可能である。 (全くQ&A形式に似つかない謎解きの具体例は思いつかなかった) ここでの氏の指す「Q&A形式」は、一問一答のような狭義のクイズ形式のことを指していると捉えられる。
狭義のクイズと広義のクイズの話は山上大喜氏の説明が詳しい。
謎解きがクイズ・パズルを包含
謎解きとクイズとパズルに共通する定義として「出題者(制作者)がAと呼んでいること」と「正解が存在すること(形式や数は問わない)」があり、追加でクイズは「何を答えるべきかが明文化されていること(出題文があること)」パズルは「正解を導くために必要な情報(ルール)が不足なく明文化されていること」というのがあると考えている。結果的にパズル∈クイズ∈謎解きになるかな。謎解きとクイズの定義に「ひらめき」とか「知識」などを持ち込もうとする方がいるが、どこからがひらめき(≒思考の飛躍)でどこまでが「常識的な知識」か、などというのは回答者の主観的な尺度でしかない。だからこういう要素を導入する時点で謎解きかクイズかが回答者に依存して変化しうることになり、定義としてはまったくナンセンスだと考える。だから逆に、客観的な定義によって謎解きその他を区別したければ「客観的に判定できる」かつ「問題のみに依存する」要素だけで定義づける必要があると思い、最初の定義に至った。
「何を答えるべきか」「正解を導くために必要な情報(ルール)」が存在することが、それらが存在しないことに対するバリアントであるとみる立場であり、それらがない状態を最も広い範囲とする主張。
本主張と大きく矛盾する点はないと思うが、包含として扱うか別個のものとして扱うかによる差異がどのような違いをもたらすかについて精査する必要がありそう……
境界なんていらない
本記事の最初に書いた前提の部分で厳密な境界線が引けないことは認めており、そのうえでなぜこれらが別物として扱われることがあるのかについて説明しようとする仮説であるため、「全て同じで良い」「境界を引く意味が無い」という主張は今回の参考には値しない。
この仮説に基づいた様々な例の説明
(前提)「ルールの明らかさ」は二値ではなく、連続的な数値を取りうる。 そのため、「謎解きか否か」ではなく「謎解き性が高いか低いか」という結論になる。
※「謎解き性」のトレードオフとして「パズル性」という単語を使うことがある。これは、ルールの明瞭さ・不明瞭さに対応する。
- 和同開珎・アナグラムなど
- ルールが明瞭であれば謎解き性は低い。ただ、何も説明がない状態で(例えば、全体戦の中の一要素として)それが和同開珎やアナグラムであることを見抜く必要があれば「ルール推測」のゲームとなり、謎解き性は増す。
- 仮に説明文が無い状態であっても、「これが和同開珎だ」といったことがパッと見で分かる場合はそのルール推測の部分がスルーされ、謎解き性の低いものとして認知される可能性がある。
- これが、いわゆる「和同開珎は謎解きではない」という言説が支持される理由であると考えられる。
- 「ひらめき」で解くものではあるが、これはルール内での試行錯誤の結果解を導き出せた、ということでのひらめきであり、「解法をひらめいた」わけではない。
- 判じ絵
- イラストを単語になるように読む方法を試行錯誤して導き出すものであるため謎解き性が認められるが、このフォーマット自体が定着しているため単体での謎解き性がそこまで高くはないという評価になる可能性もある。
- 具体的な例示をすれば、ルール推測ゲームになるため謎解き性が高まる。
- わんど謎
- 明示されていないルールを、画面操作で推測して解答するものであり、謎解き性が高い。
- 一方、ルールが判明してからも十分考えこむような難易度であり、ここを解くことに焦点を当てるとパズル性の強いものとして評価できる。
- 「言葉の奇跡」に特にフォーカスした謎(みずなし氏の謎王2予選の謎を想定)
- 答えを出すためのルールこそ明文化されていないが、法則性の推定自体は非常に簡単であり、その部分を暗黙の了解として最初から飲み込んでしまえるのであれば「謎解き性が低い」と判断される可能性がある。
- puzrar氏の「浅瀬」の話
- 「ルール推測の面白さ」とは異なる「盤面の綺麗さ」のような尺度で評価されており、この辺の文化・価値観については別でまとめたいところ。
- たつなみ謎
- 解答が単語として出ないのが最大の特徴であるが、本主張の下ではこのことはあまり重要ではない。
- ルール自体は明文化されてように見えるが、意図的に誤認しうる・穴を突くことのできる箇所を設けており、ルールが書かれているパズルのような顔をしていながら謎解き性は高い。
- リアル脱出ゲーム等の謎解き公演
- 大謎の多くは「成功条件を満たすためにどうすればいいか」「現状の問題を解決するためにどうすればいいか」である。
- このとき、(明文化済みの)ルールを再解釈して適切な行動を起こすことで打破することができることが多いため、実は「謎解き性が低い」と判断できる。 しかし「ルールを再解釈すればいい」という発想に至るまでに悩むことが多い=その発想に至りづらいように誤認させる要素がある。 情報の参照領域が盤面のみである一枚謎と、ストーリー・世界設定内に要素が散りばめられた謎解き公演では、「解法をひらめく」という部分を演出する方法が異なる?
- この辺はもうちょっと整理したい
- インストラクションレス
- 「例が唯一解になるような法則が存在する」ということは明言されているため、パズル性が高い。
- ただ、明文化されたルールが存在する通常のペンシルパズルと比較すると謎解き性が高い。